長年、ジャニーズ事務所社長として有名であったジャニー喜多川さん。2009年に死去されましたが、この世を去った今、ジャニー喜多川さんのじゃあニーズ事務所所属アイドルたちへの性加害問題が発覚!社長を引き継いだ姪の藤島ジュリー喜多川さんが自身の顔を公表しての謝罪動画を投稿するなど、連日ニュースでも取り上げられています。
そんなジャニー喜多川さんですが、どんな経歴や学歴をお持ちなのでしょうか?今回はそちらをまとめてみました!
ジャニー喜多川さんの経歴は?
1931年10月23日、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれたジャニー喜多川さん。本名をジョン・ヒロム・キタガワといい、漢字表記では喜多川擴となります。
アメリカで生まれたこともあり、ハーフ?と思ってしまいますが、両親とも日本人。父は高野山真言宗の僧であった喜多川諦道さん、母は喜多川栄子さんです。父の諦道さんは、1946年から1948年までの2年間、プロ野球チーム「ゴールドスター(金星スターズ)」のマネージャーを務めていたこともあったのだとか。
また、兄弟には兄の喜多川真一さんと姉のメリー喜多川さんがいます。兄・真一さんはNASAでアポロの設計もしていた科学者だったそうですが、1980年代に50代半ばという若さで亡くなられています。姉のメリー喜多川さんは、本名を藤島メリー泰子といい、ジャニー喜多川さんがジャニーズ事務所を設立した時から経理を担当し、ジャニーズ事務所副社長を長年務めていたこともあります。
1933年には日本へ帰国、大阪府での暮らしを始めます。しかし、まもなくして母の栄子さんが死去。太平洋戦争が勃発し、両親の地元、和歌山県へ疎開しますが和歌山大空襲にあってしまいます。
終戦後、1947年に兄・喜多川真一さんと姉・メリー喜多川さんと一緒に、子どもたちだけでロサンゼルスへ帰国し、戻ったアメリカで出会ったのはかの有名な美空ひばりさん。この出会いが、ジャニー喜多川さんが日本の芸能界に興味を持つきっかけとなります。
ジャニー喜多川さんの学歴は?
日本からロサンゼルスに帰国後、現地の高校に入学しました。在学中には、ロサンゼルスの「アーニー・パイル・シアター」で、ミュージックメーカーのアシスタントのバイトをしていました。
高校卒業後は姉・メリー喜多川さんと同じロサンゼルス・シティー・カレッジに進学。1950年には美空ひばりが川田晴久とともにアメリカ公演を行い、ロサンゼルス公演の会場が父の勤務先であった真言宗大谷派東本願寺ロサンゼルス別院になったため、ジャニー喜多川さんがステージマネージメント全体を担当しました。
1952年には日本へ再度帰国。アメリカ大使館CIDの通訳助手として、朝鮮戦争の戦争孤児に英語を教える勤務後、上智大学へ入学しました。
大学卒業後の経歴
大学卒業後、日本に永住することになります。1960年代、自身が住んでいた東京都渋谷区・代々木の在日米軍宿舎「ワシントンハイツ」にて、近所の少年たち30名を集めた少年野球チームのコーチを務めていたジャニー喜多川さん。そのうち4名のチームメンバーで最初のグループ、ジャニーズを結成します。1962年6月にはジャニーズ事務所を創業、当初は渡辺プロダクションと業務委託していましたが、1965年には正式に事務所を構えることになりました。
その後、現在も活躍中の郷ひろみさんや、たのきんトリオ、シブがき隊、少年隊、光GENJIなどの男性アイドルやアイドルグループをデビューさせ、男性アイドル事務所としての成功を収めていくようになりました。
1999年には、週間文春からジャニー喜多川さんの未成年男子に対する性加害問題が報じられるなどし、裁判などが続きましたが、当時は社会的な問題になることはなく、どんどん新しいグループやアイドルを輩出していきました。
しかし、2019年6月18日に緊急搬送され、同年7月9日、東京都渋谷区の日本赤十字社医療センターでくも膜下出血により死去されました。
まとめ
ジャニー喜多川さんの経歴や学歴をまとめてきましたが、いかがだったでしょうか。戦争経験者でもあり、波乱万丈な人生を送ってきたジャニー喜多川さん。今や日本の芸能界には欠かせないジャニーズという大きな存在を残しつつ、亡くなった今もなお性加害問題で報道されていますが、今後の動きにも注目ですね。ここまでお読みいただきありがとうございました!