週刊少年ジャンプで2021年2月まで連載されていた、藤本タツキさん原作のチェンソーマンアニメ放送が2022年10月より開始されました!ダークでミステリアスなストーリーが特徴の本作ですが、そんなアニメのOP曲の担当として米津玄師(よねづけんし)さんが抜擢されました。
米津玄師さんといえば独特な世界観の音楽性で、数々のドラマや映画、アニメの曲に起用されることが多く、リリースのたびにSNSで話題になっています。
多くの人に愛される曲を数々生み出している米津玄師さんとはいったいどんな人なのか、今回は主な経歴やプロフィールを紹介します!
米津玄師(よねづけんし)のプロフィール
まずは、米津玄師さんのプロフィールについて紹介します。
- 本名:米津玄師
- 生年月日:1991年3月10日生まれ(うお座)
- 出身地:徳島県徳島市
- 身長:188㎝
- 血液型:O型
- 趣味:ゲーム、読書、音楽鑑賞
- 交流のある芸能人:菅田将暉、松田翔太、川谷絵音
- 所属事務所:SME Records
芸名かと思われがちな「米津玄師(よねづけんし)」という名前ですが、実は本名だそうです!とても珍しい名前ですよね。
自身の性格に関しては、人見知りで悲観的な性格だと語っております。仕事とオフの境界線が無いようで、日々仕事でありオフであるという生活スタイルのようです。お酒が好きで、予定がない日にはお酒を飲みながらYouTubeや映画を見るなど、ごく普通の過ごし方をされているようで非常に親近感が湧きますね!
米津玄師の経歴
ここからは、米津玄師さんの音楽活動の経歴を見ていきましょう!
米津玄師さんのシングル枚数は、チェンソーマン アニメの楽曲として発表された新曲「KICK BACK」も含めて13枚、総アルバム数は5枚です。
2013年のメジャーデビュー以降、精力的な活動を続け、ドラマやアニメなど数多くの作品に楽曲を提供していますね。どの楽曲も強烈なインパクトでリリースのたびに話題になり、日本を代表して世界中からも注目されているアーティストです。
2008年(17歳)
ニコニコ動画にて「ハチ」という名義でオリジナル曲を発表。
2009年(18歳)
ニコニコ動画にて初音ミクを用いた処女作「お姫様は電子音で眠る」を発表。
2010年(19歳)
サークル「南方研究所」のメンバーとして「花束と水葬」「OFFICIAL ORANGE」を発表。
2012年(21歳)
米津玄師 本名での活動を開始。BALLOOMよりアルバム「diorama」発売し、初登場6位になる。
2013年(22歳)
ユニバーサルシグマよりシングル「サンタマリア」をリリースし、メジャーデビューを果たす。
2014年(23歳)
代表曲と称される「アイネクライネ」が、東京メトロ2014年度広告キャンペーンのタイアップ曲となる。
2015年(24歳)
3枚目のシングル「Flowerwall」がニコンのCMソングに起用される。
アルバム「Bremen」を発売し、日本レコード大賞にて優秀アルバム賞に選出される。
2016年(25歳)
ソニー・ミュージックレコーズへ移籍。シングル「LOSER/ナンバーナイン」を発表する。
ワンマンツアー「米津玄師 2016 TOUR/はうる」を開催。
2017年(26歳)
アニメ映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』の主題歌「打上花火」の作詞・作曲・プロデュース・ゲストボーカルを担当。
2018年(27歳)
テレビドラマ『アンナチュラル』の主題歌として「Lemon」を発表。2018年度最大のヒット曲となる。
2020年応援ソングプロジェクトに参加し「Foorin」の楽曲「パプリカ」をプロデュース。第69回NHK紅白歌合戦に初出場。
2019年(28歳)
初のアリーナツアー「米津玄師 2019 TOUR/脊髄がオパールになる頃」を開催。
ソニーミュージックレーベルズ内のSME Recordsに移籍。
前年プロデュースの「パプリカ」が第61回日本レコード大賞を受賞。
2020年(29歳)
ドラマ『MIU404』の主題歌として、新曲「感電」を提供。
5枚目のアルバム「STRAY SHEEP」を発表。自身初のミリオンを達成。
2021年(30歳)
アルバム「STRAY SHEEP」の収録曲「カナリア」が、NHKの新番組『ふたりのディスタンス』に起用される。
インテリアグッズブランド「REISSUE FURNITURE」を立ち上げる。
2022年(31歳)
映画『シン・ウルトラマン』の主題歌として、新曲「M八七」を提供。
チェンソーマン アニメのオープニングテーマとして「KICK BACK」発表。
米津玄師をさらに深堀り!
米津玄師がアーティストになるまで
小学生の頃にBUMP OF CHIKENの楽曲に感銘を受け、中学生の頃にバンド活動と録音機器を使った楽曲制作を初めました。高校生の頃には文化祭などでライブ行ったこともあるそうですが、自身の性格的に人と一緒に活動することに気疲れしてしまい、ボカロで一人で音楽を作ることに没頭したそうです。
そんな期間が数年続いた頃に、ニコニコ動画にボカロの音源を上げる活動に満足できず、自身の名前と声で活動しようと決意したことがデビューのきっかけになりました。
自身の音楽に対する姿勢
楽曲制作にあたってのプレッシャーよりも、自分自身に飽きないように楽曲制作しているとのことです。流行り廃りが激しい時代の中で、その時の自分にできる表現を時代と並行させて、できる限りの事をするといったスタンスだそうです。幸い多くの人に自身の表現を受け入れてもらえていることで、今の自分になっていると語っています。
まとめ
今回は、注目のチェンソーマン アニメのOPを担当している米津玄師さんについてご紹介しました。時代に合わせつつ自身の表現をブレさせない米津玄師さんならではの音楽性だからこそ、様々な作品の主題歌として選ばれているのかもしれませんね。
激しく変わっていく流行りの中でどのような楽曲が生み出されるのか、今後の活動にも要注目です!