2019年のラグビーワールドカップで大活躍した「スピードスター」こと福岡堅樹(ふくおか・けんき)選手。
俊足を武器に数々の試合で活躍しましたが、2020年に惜しまれながらも引退を決断しました。
その引退を考えた理由が「医学部進学のため」。
これほどスポーツに打ち込みながら医学部受験を目指すというのは、凄すぎます…!
福岡堅樹さんが合格したのはどこの大学の医学部なのでしょうか?
また、これほど医学部を目指すきっかけになったのはどのようなことなのでしょうか?
詳しく調査しました。
福岡堅樹の通う医学部はどこ?
順天堂大学医学部
2021年4月から福岡堅樹さんが通っているのは、順天堂大学の医学部です。
福岡堅樹さんは、2021年2月20日に自身のTwitterで順天堂大学の合格を報告しています。
『報告』
この度、順天堂大学医学部に無事合格することができました!
この挑戦は、本当に多くの方々の助けがあって成し遂げられたと思います。
この感謝の気持ちを忘れずに、また新たな挑戦の道を歩んでいきたいと思います。
今後とも応援よろしくお願い致します!— Kenki Fukuoka/福岡 堅樹 (@kenki11) February 20, 2021
また、2021年4月6日には、Twitterで順天堂大学の入学式に参加した様子をアップしました。
今日順天堂大学の入学式に行ってきました!
これからまたトップリーグ今季終了までは両立の生活が始まりますが、自分で選んだ道を最後まで歩めるように、1日1日を大切にしていきたいと思います! pic.twitter.com/Nblnfkvo2q— Kenki Fukuoka/福岡 堅樹 (@kenki11) April 6, 2021
このことから、福岡堅樹さんが順天堂大学の医学部で学んでいることは間違いないでしょう。
順天堂大学は1838年設立で、2019年度の医師国家試験合格率は99.2%。
順天堂大学医学部の偏差値は70ということで、相当な難関校といえますが、合格した福岡堅樹さんはすごいとしか言えません。
福岡堅樹の志望校が「筑波大学医学部」のデマ情報が出た理由は?
福岡堅樹が筑波大学出身だから
福岡堅樹さんは、元々筑波大学の出身。
2012年に筑波大学情報学群情報科学類に入学しています。
そのため、順天堂大学合格を発表する以前は「筑波大学の医学部が志望校なのでは?」と言われていました。
筑波大学医学部は偏差値69.7の超難関です。
一度筑波大学医学部を受験しているから
福岡堅樹さんは、一度筑波大学医学部を受験したことがあります。
高校2年生まではラグビーよりも医学部進学を優先しようと考えていた福岡堅樹さんでしたが、筑波大学のラグビー部に行った先輩を見て「筑波大学のラグビー部に行きたい」と思うようになったとインタビューで語っています。
高校2年生までは、どちらかというと医学部で勉強することをメインに考えていて、それプラス、ラグビーができればいいかなぁという気持ちでした。そんな時、福岡高校から筑波に行ったラグビー部の先輩が楽しそうにプレーをしている姿を見て、筑波大学のラグビー部に興味を持つようになって。教育実習で高校に来た先輩に、筑波大学の雰囲気を尋ねていく中で、「医者にもなりたい。ラグビーもしたい」と思うようになり、筑波大学の医学群を目指すことにしました。
出典:TSUKUBA WAY
しかし、筑波大学医学部は不合格になってしまい、筑波大学のラグビー部に行くために、医学部を諦めて筑波大学の情報学群を受験することにしました。
筑波の医学専門学群は、やはり高い壁でした。1度目の受験に失敗し、そして2度目の前期でも合格することができなくて。その時、筑波へのこだわりを捨てて、後期でもう少しレベルの低い大学の医学部を受けることも考えたんですが、「医学部を取るか。ラグビーを取るか」の二者択一を迫られ、「今、何を選んだら一番後悔しないだろう?」と。とことん悩んだ末に、1年間ラグビーを離れていたことで、より明確に「今はラグビーがしたい」という気持ちが勝って筑波大学の情報学群を受験することにしました。
出典:TSUKUBA WAY
筑波大学の医学部を前期で落ちて、後期で情報学群に入学…これだけでも相当すごいことですが、「筑波大学のラグビー部に入りたい」という気持ちが相当強いことがわかりますね。
そして筑波大学ラグビー部で活躍した後、平成27年度に筑波大学を卒業しました。
福岡堅樹が医者を目指した理由は?
実家が医者の家系
福岡堅樹さんの実家は医者の家系。
お父さんが歯科医で、母方のおじいさんが内科医ということで、ご両親ともに医者の家系と言えますね。
福岡堅樹さんも、内科の開業医であるおじいさん祖父の影響で医師という職業に憧れを持つはじめたようです。
自身の怪我
高校時代の福岡堅樹さんは、ひざの怪我に悩まされました。
[box01 title=”高校時代の福岡堅樹の故障”]
高校2年生 左ひざの前十字じん帯を損傷
高校3年生 右ひざのじん帯を断裂
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しかしこのひざの故障をきっかけに、選手にとって医者がどれほど心強い存在か知り、福岡堅樹さんは「医師としてスポーツに関わることで人を支えたい」と思うようになりました。
もともと開業医である祖父の影響で医師という職業に憧れを持っていましたが、ひざの手術後、ネガティブな考えを持つことなくリハビリに専念することができたのは、先生が精神面でも僕をサポートしてくれたおかげです。と同時に、医師としてスポーツに関わる道があることを知り、「いつか僕も人を支える医師になりたい」と具体的な目標を持つようになりました。スポーツ整形の分野なら、僕がケガをした経験や選手としての経験も生かせますしね。
出典:TSUKUBA WAY
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