SixTONESメンバーとして人気の京本大我さん。
クールなビジュアルに対して、ちょっと抜けているところもあるギャップに魅了されるファンも多いですね!
そんな京本大我さんは、ご両親が芸能人ということは既に有名でしたが、実は親戚に小池徹平さんや人間国宝の方もいるのだとか。
華麗過ぎて京本家の家系図が気になりますね!
今回は京本大我さんの家系図や小池徹平さんとの関係、親戚の人間国宝の方が誰なのかについてまとめていきます。
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京本大我の家系図
京本大我さんは2021年9月20日に放送された『1番遠い親戚さん』に出演。
その際、京本家の家系図を公開していました!
その家系図が上の画像。
ご親戚の名前まではっきりと公開されており、かなりオープンですねw
京本大我の親戚
はとこが小池徹平
京本大我さんは、お母さんのいとこの息子が小池徹平さん。
つまり、京本大我さんと小池徹平さんははとこの関係にあたるのですね!
2021年9月現在、小池徹平さんは35歳で2児の父。
26歳の京本大我さんとは9歳差ですが、小さいころから遊んだりしていたのでしょうか…
想像するだけで微笑ましいですね。
曽祖父が「人間国宝」
京本大我さんの母方の曽祖父は、最初の「人間国宝」に選出された赤地友哉(あかち・ゆうさい)さん。
これまで人間国宝に認定された漆芸家の多くは、下地を形成した後に模様などを作る加飾法の技法の保持者として認定されていますが、一方赤地友哉さんはそもそもの髹漆(きゅうしつ)という下地を作る技法で認定されている作家。
つまり、漆芸のベースになる部分を独自の技法で開拓していったパイオニアともいえる存在なのですね!
また赤地友哉さんはヒノキなどの薄板をまげて楕円形の容器を作る「曲輪造」の技法も開発。
それまでの漆器は四角いものが多かったのですが、この曲輪造により、漆芸をより変化に富んだものにすることができたことが大きな功績として讃えられています。
そして赤地友哉さんは漆塗りの髹漆の第一人者として、1947年には紫綬褒章、1953年には勲四等旭日章も受章しています。
[box01 title=”赤地友哉の受賞歴”]
- 1947年 紫綬褒章
- 1953年 勲四等旭日章
- 1974年 人間国宝
[/box01]
これほどの人物が曽祖父という京本大我さん…
はやり京本家が華麗なる一族であることは間違いなさそうです。
曽祖父が「重要文化的景観」作者
京本大我さんの母方の曽祖父にあたる方は源七さんと言って、重要文化的景観を作った人物。
上の画像がその重要文化的景観である「遊子水荷浦の段畑(ゆすみずがうらのだんばた)」で、2007年に四国で初めて認定された国の重要文化的景観です。
急な山の斜面に石垣を積み上げて造られた階段状の畑…なんとも美しいですね!
下から見上げると、まるで天に上る階段のようにも見えるという遊子水荷浦の段畑は、重要文化的景観だけでなく日本農村百景に選定されています。
父は京本政樹
京本大我さんの父親は、京本政樹さん。
京本政樹さんと言えば、「必殺シリーズ」などで有名な大御所俳優ですよね。
母は元アイドル
京本大我さんのお母さんは、アイドルグループ「CANCAN」でアイドルとして活躍していた山本博美さん。
元アイドルというだけあって、とても美人なお母さんです!
2人の馴れ初めは1988年の秋、京本政樹さんが座長を務めた京都・南座の舞台に博美さん出演したことがきっかけ。
しかしその直後に京本政樹さんが前夫人と離婚したことで、世間からは略奪婚などと誹謗中傷を受けることになりましたが、1991年4月に「ついて来てほしい」とプロポーズしました。
1992年5月28日に東京・赤坂プリンスホテルで婚約記者会見を行い、6月15日に目黒のサレジオ教会で森田健作夫妻が立会人となって挙式しました。
京本政樹さんは当時33歳、山本博美さんは29歳でした。
結婚当初は「子供は3人くらい欲しい」と博美さんは答えていましたが、結局京本大我さんは1人っ子となりました。
京本は「彼女が喜んでくれる顔を見たい一心で頑張った」とようやくこぎつけた幸せに喜びもひとしお。「子供は3人くらい欲しい」という博美さんに、京本も「きょうだいは多い方がいいからね」と笑顔で幸せをかみしめていた。
引用:デイリー本誌(1992年5月29日)
そのため、京本大我さんには兄弟はいません。
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