【家系図】中山泰秀防衛副大臣の父親・親族は?政治家一家で大企業役員も

中山家顔写真家系図 著名人

失言で度々話題になる中山泰秀議員

現在は防衛副大臣も務めていますが、これほど失言やスキャンダルがあるにも関わらず長年にわたって政治家として働いていられたのは、中山一族の経歴があったからかもしれません

調べてみると、中山泰秀防衛副大臣の家族はスゴイ経歴の方ばかりでした…!

今回は中山泰秀防衛副大臣の家族や親戚についてまとめました。

中山泰秀防衛副大臣の家族や親戚は?

中山泰秀の父は中山正暉

中山正暉

出典:Wikipedia

中山泰秀議員の父親は、元衆議院議員の中山正暉(なかやま・まさあき)さん

中山正暉さんは、母・中山マサさんが第1次池田内閣の厚生大臣時代に秘書官を務めたのをきっかけに政界入りします。

その後、大阪市議会議員を経て、1969年に母の地盤を受け継いで衆議院議員に初当選したため、完全に政治家2世と言えますね

つまり、中山泰秀防衛副大臣は政治家三世ということになります。

中山正暉さんは初当選以来、連続11期の当選を果たし、国会議員生活は30年以上に及びました。

30年も議員生活を送れば、政界・経済界内にかなりコネやパイプもできそうですね。

[box class=”box32″ title=”中山正暉のプロフィール”]

名前:中山正暉(なかやま・まさあき)
生年月日:1932年6月14日(2021年7月時点で89歳)
出身:大阪府
出身高校:勝山高校
出身大学:中央大学法学部
称号:勲一等旭日大綬章、衆議院永年在職議員、法学士
職業:財団法人異文化コミュニケーション財団理事

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中山正暉さんは建設大臣や国土庁長官などで入閣も4度経験。

政治家の中でも、かなりトップの影響力と言えるでしょう。

[box class=”box32″ title=”中山正暉の入閣歴”]

【小渕恵三内閣】第68代建設大臣・第35代国土庁長官
【第1次森喜朗内閣】第68代建設大臣・第35代国土庁長官
【村山富市内閣】第17代総務庁長官
【竹下登内閣】第48代郵政大臣

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中山泰秀の伯父は中山太郎

中山太郎

出典:https://www.sankei.com/article/20191024-5N3LR7AYLNLIBDSI2J4257VQDE/

中山泰秀議員の伯父は元外務大臣の中山太郎さん

旧制大阪高等医学専門学校(現在の大阪医科大学)を卒業し、大阪医科大小児科教室助手を務めた後、1955年に、大阪府議会議員選挙に出馬し初当選を果たしました。

[box class=”box32″ title=”中山太郎のプロフィール”]

名前:中山太郎(なかやま・たろう)
生年月日:1924年8月27日(2021年7月現在96歳)
出身:大阪府大阪市
出身大学:大阪高等医学専門学校(現在の大阪医科大学)
称号:勲一等旭日大綬章、医学博士、衆議院永年在職議員
学位:医学博士(大阪医科大学)
職歴:大阪医科大学助手→大阪府議会議員→国会議員

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医師免許も持っていた中山太郎さん。

そのうえで外務大臣や沖縄開発庁長官なども経験されていて、素晴らしい経歴ですね。

[box class=”box32″ title=”中山太郎の入閣歴”]

【第1次海部内閣】第117外務大臣
【第2次海部内閣】第118代外務大臣
【第2次海部改造内閣】第118代外務大臣
【鈴木善幸内閣】 第11代沖縄開発庁長官、第30代総理府総務長官

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中山泰秀の従兄弟は中山譲治

中山譲治

出典:https://www.ajinomoto.co.jp/company/jp/aboutus/data/officers/jyoji-nakayama/index.html

中山太郎さんの長男で、中山泰秀の従兄弟にあたるのが中山譲治さん

中山譲治さんは政治家ではありませんが、第一三共の代表取締役兼CEOを務めるなど、経済界で活躍しています。

[box class=”box32″ title=”中山譲治のプロフィール”]

名前:中山譲治(なかやま・じょうじ)
生年月日:1950年5月11日(2021年7月現在71歳)
出身:大阪府
出身高校:大阪教育大学附属高等学校
出身大学:大阪大学基礎工学部
出身大学院:大阪大学大学院生物工学科修了、ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院修了

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続いて中山譲治さんの職歴はこちら。

[box class=”box32″ title=”中山譲治の職歴”]

1979年 28歳でサントリー(現・サントリースピリッツ)に入社→取締役に就任
2002年 第一サントリーファーマを設立
2003年 第一製薬の取締役に就任
2007年 経営統合により第一三共に入社し、執行役員に就任
2010年 第一三共の代表取締役社長兼CEOに就任
2017年 第一三共の代表取締役会長兼CEOに就任
2018年 日本製薬工業協会の会長に就任
2019年 第一三共の代表取締役会長に職位変更
2020年 第一三共の常勤顧問に職位変更
2021年 味の素の社外取締役に就任

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かつての日本では、社債の発行額が資本金の額に応じて法令で規制され、企業が自由に社債を発行できませんでした。

これを受けて中山譲治さんがサントリーの社員として大蔵省に法規制を見直すよう掛け合い、大蔵省からは「法律が変わるなんてあり得ない」とあしらわれたものの、経団連がこの主張を取り上げたことで業界としてムーブメントに。

最終的にこの社債に関する規制・法律が廃止という功績があります

政治家とのパイプが、中山譲治さんのこの功績にも繋がっているのかもしれません。

中山泰秀の祖父は中山福蔵

中山福蔵

出典:Wikipedia

中山泰秀の祖父は、弁護士で戦前に衆議院議員、戦後に参議院議員を務めた中山福蔵さん

[box class=”box32″ title=”中山福蔵プロフィール”]

名前:中山福蔵(なかやんま・ふくぞう)
生年月日:1887年6月7日1978年10月13日、91歳没)
出身:熊本県玉名郡江田村
出身小学校:志布志尋常高等小学校
出身中学:鎮西学館→大阪府立富田林中学校 (旧制)→奈良県立郡山中学校
出身高校:第七高等学校造士館
出身大学:東京帝国大学法学部(1918年卒)
称号:従三位
職歴:弁護士→政治家

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中山福蔵さんは大学卒業後、東京で弁護士となりますが、東大の同級生と法廷で争うことを避けるため、大阪に弁護士事務所を開きました。

1923年 、大隈重信さんの秘書官だった川尻正修さんの世話で、飯田マサさんとお見合い結婚し、大阪市で新婚生活を送りました。

その後戦前に衆議院議員を3期、戦後は参議院議員を3期務め、参院法務・建設各委員長、裁判官弾劾裁判所裁判長等を歴任した他、初代在大阪トルコ共和国名誉総領事、全日本薬業(連)会頭、(財)日本警察犬協会副会長、(社)日タイ協会・日本国連協力会各理事なども務めました。

中山泰秀の祖母は中山マサ

中山マサ

出典:Wikipedia

中山泰秀祖母は女性初の国務大臣(厚生大臣)となった中山マサさん

長崎県長崎市出身で、父親はアメリカ人の父Rodney H. Powersさんで母親は日本人の飯田ナカさん。

当時は珍しいハーフだったのですね。

ということは、中山泰秀防衛副大臣は片親がクオーターということで、ワンエイスということですね。

[memo title=”MEMO”]ワンエイス…1/2混血がハーフ、1/4混血がクオーター、1/8混血がワンエイス[/memo]

飯田マサさんは1911年にアメリカに渡り、アルバイトをしながら米国オハイオ州のオハイオ・ウェスリアン大学を卒業。

帰国後は活水女子英語専門学校、長崎市立高等女学校の教師として働き、その後当時弁護士だった中山福蔵さんと結婚し中山マサの名前になりました。

戦後の1947年、第23回衆議院議員総選挙では旧大阪2区から立候補し見事当選を果たします。

中山マサ

出典:Wikipedia

1960年には日本初の女性閣僚として、第1次池田内閣で厚生大臣として入閣。

1969年に、四男・中山正暉さんに地盤を譲って政治家を引退しました。

中山泰秀防衛副大臣の家系図は?

中山家顔写真家系図

中山泰秀防衛副大臣の家系図をまとめると上のようになります。

医者や弁護士もいて、まさに華麗なる一族といった印象ですね。

中山泰秀さんからすれば、父親が建設大臣や郵政大臣を務め、伯父が外務大臣も務めています。

3世政治家のなかでも、かなりハイレベルな家系と言えるのではないでしょうか。

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